2010年05月28日
天草陶石レポート(完)
有田陶芸協会主催の、天草陶石視察研修をここまで3回に渡るレポート
4回目の今回で最終回になります
最後に、上田陶石合資会社さんの敷地内にある「上田資料館」を訪ね、
「高浜焼」をレポートいたします
まずは、旧高浜村庄屋、上田本家役宅を訪問

(写真右は、同協会で同行しました、14代今泉今右衛門氏
)
ここの離座敷と日本庭園は、明治中期のものでありますが、1658年に既に
上田家2代(定生)の時、高浜村の庄屋となり、現在の15代に代々受け継がれて
いる、貴重な文化財に指定されている屋敷です

隣接する資料館で、天草陶石、上田家、高浜焼のそれぞれ歴史を見る事が
できますが、前回のレポートの中で、1762年に高浜焼がこの地で生まれたと
書きました

それからの高浜焼の歴史ですが、初期(上田家6代)は、肥前から陶工(大村領
長与)を雇って窯を築き、多大な経費を掛けても、経済効果は少なかったが、
当時の肥前陶磁器と同じく、徐々にオランダとの交易が盛んになり、ついにこの
高浜村(鷹の巣山地区)に数百人の生業を成すまでに発展
錦手と呼ばれる、久谷焼によく似た、古伊万里風壺などの作品が主流でした

その後、三河内焼風な染付の人物や山水画を描いた食器、平戸焼風な
彫刻のある錦手の茶碗、明治の頃には、酸化コバルトを使用した呉須の青が
鮮明な大鉢など・・・、高浜焼の歴史は、上田家代々の歴史でもあるのです

(写真は、庄村健氏、坂本義弘氏、奥川俊右衛門氏、今泉氏ら
)
熊本県の文化財にも指定されている初期~中期の作品もズラリ
興味深いのは、上田家に残されている数々の古文書
数百人の職人を抱えた、村全盛期でのこの村(高浜皿山)にだけ通用する紙幣
(給料の代わりだったのか
)、職人からの詫び状や陳情書などなど・・・
同資料館で、天草陶磁器の歴史が、だいぶ判ったような気がします

今回の視察研修は、天草陶石の採掘現場から陶石工場、さらにそこで栄えた
高浜焼の歴史など、なかなか一般で訪れても関係者以外は入れない場所まで
見学ができ、また、木山陶石さん、上田陶石さん、天草町役場の皆さんにまで
ご丁寧に案内して頂き、誠に有難うございました

有田町からも力強いバックアップもあり(バスを出して頂きまして・・・
)、
さらに言えば、さすがドイツにも作品を巡回している「有田陶芸協会」
酒井田柿右衛門氏、今泉今右衛門氏、奥川俊右衛門氏・・・、考えてみれば私も
凄い所に所属しているもんだなぁ~
・・・などと、改めて感じつつ・・・、

今回、このメンバーと大変実のある研修できた事を、嬉しく思います
また、有田の代表として活動する陶芸家の一員として、誇りに思います

これからまた、土(陶石)に対する気持ちが、少し違ってくるかもしれませんね

4回目の今回で最終回になります

最後に、上田陶石合資会社さんの敷地内にある「上田資料館」を訪ね、
「高浜焼」をレポートいたします

まずは、旧高浜村庄屋、上田本家役宅を訪問


(写真右は、同協会で同行しました、14代今泉今右衛門氏

ここの離座敷と日本庭園は、明治中期のものでありますが、1658年に既に
上田家2代(定生)の時、高浜村の庄屋となり、現在の15代に代々受け継がれて
いる、貴重な文化財に指定されている屋敷です


隣接する資料館で、天草陶石、上田家、高浜焼のそれぞれ歴史を見る事が
できますが、前回のレポートの中で、1762年に高浜焼がこの地で生まれたと
書きました


それからの高浜焼の歴史ですが、初期(上田家6代)は、肥前から陶工(大村領
長与)を雇って窯を築き、多大な経費を掛けても、経済効果は少なかったが、
当時の肥前陶磁器と同じく、徐々にオランダとの交易が盛んになり、ついにこの
高浜村(鷹の巣山地区)に数百人の生業を成すまでに発展

錦手と呼ばれる、久谷焼によく似た、古伊万里風壺などの作品が主流でした


その後、三河内焼風な染付の人物や山水画を描いた食器、平戸焼風な
彫刻のある錦手の茶碗、明治の頃には、酸化コバルトを使用した呉須の青が
鮮明な大鉢など・・・、高浜焼の歴史は、上田家代々の歴史でもあるのです


(写真は、庄村健氏、坂本義弘氏、奥川俊右衛門氏、今泉氏ら

熊本県の文化財にも指定されている初期~中期の作品もズラリ

興味深いのは、上田家に残されている数々の古文書

数百人の職人を抱えた、村全盛期でのこの村(高浜皿山)にだけ通用する紙幣



同資料館で、天草陶磁器の歴史が、だいぶ判ったような気がします


今回の視察研修は、天草陶石の採掘現場から陶石工場、さらにそこで栄えた
高浜焼の歴史など、なかなか一般で訪れても関係者以外は入れない場所まで
見学ができ、また、木山陶石さん、上田陶石さん、天草町役場の皆さんにまで
ご丁寧に案内して頂き、誠に有難うございました


有田町からも力強いバックアップもあり(バスを出して頂きまして・・・

さらに言えば、さすがドイツにも作品を巡回している「有田陶芸協会」

酒井田柿右衛門氏、今泉今右衛門氏、奥川俊右衛門氏・・・、考えてみれば私も
凄い所に所属しているもんだなぁ~


今回、このメンバーと大変実のある研修できた事を、嬉しく思います

また、有田の代表として活動する陶芸家の一員として、誇りに思います


これからまた、土(陶石)に対する気持ちが、少し違ってくるかもしれませんね

2010年05月27日
天草陶石レポート(3)
有田陶芸協会の「天草陶石視察研修」のレポートも、今日で3回目
この回は、午後から訪ねた「皿山脈」に採石場を所有されている、上田さんと
天草の歴史をちょっと勉強してみましょう

ここは、天草町下田南に位置する、山深い高浜川の上流にあります
天草でも最大の皿山脈は、町の山間部を南北に縦断する天草陶石の脈があり、
上写真の反対方角にも、いくつもの山々に渡って、陶石を採掘した跡が、
大きな渓谷となって、今も歴史を刻んでいます
(下写真がそうです
)

天草陶石が最初に発見されたのはかなり古く、元禄年間に旧高浜村などで
採掘された、としか記されてないらしく、時期は定かでない

上の写真で説明して頂いた、上田陶石の社長さんは、1700年頃から代々、
天草陶石の採掘にあたられている、高浜焼の歴史にも関わる事業家です
最初は、砥石や硯石として出荷されていましたが、正徳2年(1712年)に
佐賀県嬉野吉田の製陶業者に、陶石を供給したのが、製陶原料として使用した
始めだとされています

その後、上田家の6代目伝右衛門氏が、ここで採れる陶石が、陶磁器原料として
最も優れていると聞き、肥前の陶工を招き、宝暦12年(1762年)に初めて
この地(高浜村鷹の巣山)で焼き物を焼いたのが、「高浜焼」です

(上の写真は、前回に木山陶石さんでも紹介した、陶石の選別作業です
)
さてさて、今回でレポートが終わらなかったので、次回(第4回)の中で、
天草町皿山脈のふもとにある、高浜川沿いの上田家屋敷や資料館とともに、
「高浜焼」について、レポートしたいと思います

(追伸)
当初の予定より、だんだんスケールが大きい特集になってきたので、興味がない
読者の方が多く、どのぐらいの方がご覧になっているのか、かなり疑問ですが、
どうぞ、いましばらくお付き合いください
そして、興味が少しでもある方は、ご意見やご感想を頂ければ幸いです

この回は、午後から訪ねた「皿山脈」に採石場を所有されている、上田さんと
天草の歴史をちょっと勉強してみましょう


ここは、天草町下田南に位置する、山深い高浜川の上流にあります

天草でも最大の皿山脈は、町の山間部を南北に縦断する天草陶石の脈があり、
上写真の反対方角にも、いくつもの山々に渡って、陶石を採掘した跡が、
大きな渓谷となって、今も歴史を刻んでいます



天草陶石が最初に発見されたのはかなり古く、元禄年間に旧高浜村などで
採掘された、としか記されてないらしく、時期は定かでない


上の写真で説明して頂いた、上田陶石の社長さんは、1700年頃から代々、
天草陶石の採掘にあたられている、高浜焼の歴史にも関わる事業家です

最初は、砥石や硯石として出荷されていましたが、正徳2年(1712年)に
佐賀県嬉野吉田の製陶業者に、陶石を供給したのが、製陶原料として使用した
始めだとされています


その後、上田家の6代目伝右衛門氏が、ここで採れる陶石が、陶磁器原料として
最も優れていると聞き、肥前の陶工を招き、宝暦12年(1762年)に初めて
この地(高浜村鷹の巣山)で焼き物を焼いたのが、「高浜焼」です


(上の写真は、前回に木山陶石さんでも紹介した、陶石の選別作業です

さてさて、今回でレポートが終わらなかったので、次回(第4回)の中で、
天草町皿山脈のふもとにある、高浜川沿いの上田家屋敷や資料館とともに、
「高浜焼」について、レポートしたいと思います


(追伸)
当初の予定より、だんだんスケールが大きい特集になってきたので、興味がない
読者の方が多く、どのぐらいの方がご覧になっているのか、かなり疑問ですが、
どうぞ、いましばらくお付き合いください

そして、興味が少しでもある方は、ご意見やご感想を頂ければ幸いです

2010年05月26日
天草陶石レポート(2)
昨日からの天草陶石視察(主催:有田陶芸協会)のレポート第2弾ですが・・・、
そもそも、天草と泉山の陶石の違いは何ですか
と、質問を受けたりしますが、
平たく言うと、実は泉山陶石の方が、粘りが少なく、鉄分も多く含まれていて、
成形には天草陶石が扱いやすいと、大半の人が答えます

専門的に説明すると、泉山は硫化鉄が多く、天草は酸化鉄が多く含まれており、
チタンの含有量が少ないので、還元焼成によって、青味を帯びた白の透明性に
優れている、というわけですね
とはいえ、天草でも採取した陶石を、そのまま出荷するというわけではなく、
まずは、陶石の中にも、特級~三等、四等と、階級をわけていくわけです
(最上級の特級は、採取陶石全体の約1%
、すごく貴重ですよね
)

時代は変わっても、こればかりは今も手作業
この日も、熟練したおばちゃんが、「さすがっ
」という選別を、いとも簡単そうに
黙々と作業をされていました
(写真右は、酒井田柿右衛門氏
)

二重三重と選別された陶石は、これから「脱鉄」と言われる、鉄分を更に少なく
取り除く作業(チタンは鉄分とくっつき、黄色味を帯びるので・・・
)、
更に更に、約20日にも渡る水洗いなどの、かなり手間が掛かる作業を経て、
ようやく出荷される、というわけです

この五層と呼ばれる天草陶石鉱脈のふもとにある、木山陶石さんの工場でも、
フェリーで島原半島に渡り、主に佐賀県嬉野や塩田の陶石工場に出荷されて
いるのです
(もちろん有田の殆どの作家や窯元も使っています
)

(写真は、帰りのフェリーで偶然見た、たぶん嬉野あたりに出荷されるダンプで、
天草のどの場所から採掘された陶石かわかりませんが・・・
)
さて次回は、午後から伺った、上田陶石さんと、上田家&天草陶石&高浜焼の
歴史について、レポートしたいと思います
そもそも、天草と泉山の陶石の違いは何ですか

平たく言うと、実は泉山陶石の方が、粘りが少なく、鉄分も多く含まれていて、
成形には天草陶石が扱いやすいと、大半の人が答えます


専門的に説明すると、泉山は硫化鉄が多く、天草は酸化鉄が多く含まれており、
チタンの含有量が少ないので、還元焼成によって、青味を帯びた白の透明性に
優れている、というわけですね

とはいえ、天草でも採取した陶石を、そのまま出荷するというわけではなく、
まずは、陶石の中にも、特級~三等、四等と、階級をわけていくわけです

(最上級の特級は、採取陶石全体の約1%



時代は変わっても、こればかりは今も手作業

この日も、熟練したおばちゃんが、「さすがっ

黙々と作業をされていました



二重三重と選別された陶石は、これから「脱鉄」と言われる、鉄分を更に少なく
取り除く作業(チタンは鉄分とくっつき、黄色味を帯びるので・・・

更に更に、約20日にも渡る水洗いなどの、かなり手間が掛かる作業を経て、
ようやく出荷される、というわけです


この五層と呼ばれる天草陶石鉱脈のふもとにある、木山陶石さんの工場でも、
フェリーで島原半島に渡り、主に佐賀県嬉野や塩田の陶石工場に出荷されて
いるのです



(写真は、帰りのフェリーで偶然見た、たぶん嬉野あたりに出荷されるダンプで、
天草のどの場所から採掘された陶石かわかりませんが・・・

さて次回は、午後から伺った、上田陶石さんと、上田家&天草陶石&高浜焼の
歴史について、レポートしたいと思います


2010年05月25日
天草陶石レポート(1)
24日、私も所属している「有田陶芸協会」会員のメンバーで、天草(熊本県)へ
「天草陶石視察研修会」と題して、視察に行ってきましたので、当ブログの中で、
数回に分けて、レポートしようかな
・・・って、考えています
まずは、「天草陶石」とは何ぞや
、って事から、勉強していきましょう
(専門用語が出てくるので、Wikipediaなどで、調べながら読んでみましょう
)

「天草陶石」は、天草下島で採掘される粘土の鉱石で、陶磁器の原料として広く
利用されており、実は現在、有田で生まれる磁器のほぼ100%は、ここで採れる
天草陶石が原料になっています
このように、白い石なんですが(酸化して表面は黄色くなっていますが)、
有田焼をはじめとした、白磁をベースにした磁器が、それです

この鉱物は、流紋岩が熱水・温泉作用によって陶石化した、石英、セリサイト、
カオリナイトの3つの成分から、成り立っています
チタンや鉄の含有量が極端に少ないので、焼成(還元)すると、くすみも出ず、
白く輝く磁器となるわけですね

さて、その天草陶石が採れる陶石脈が、天草西部(下田周辺を中心として)の
至る所に点在しているわけですが(主に海岸脈、村山脈、皿山脈など・・・)、
今回訪れて、少々ビックリしました

山の大部分が天草陶石なのかと思ってましたが、脈があるのはその一部で、
採掘工場の社長(木山陶土さん)がおっしゃるには、山の削り落としに1年近く
かかった後に、ようやく陶石の採掘作業に入る事ができるそうだ・・・
私たち有田に生まれ育った者にとっては、泉山陶石場みたいに、山丸々ひとつが
上質な陶石が採れるものだと思っていたので、大変な手間がかかっている事に
驚かされました~
有田の泉山磁石場は、やはり特別な所だったんですね~(再認識です・・・
)
最後に木山陶石さんの五層採石場で、集合写真をパチリ
(柿右衛門さん、今右衛門さんはじめ、蒼々たるメンバーですね~
)

さて次回は、「脱鉄」という作業などの様子を、お届けしたいと思います
「天草陶石視察研修会」と題して、視察に行ってきましたので、当ブログの中で、
数回に分けて、レポートしようかな


まずは、「天草陶石」とは何ぞや


(専門用語が出てくるので、Wikipediaなどで、調べながら読んでみましょう


「天草陶石」は、天草下島で採掘される粘土の鉱石で、陶磁器の原料として広く
利用されており、実は現在、有田で生まれる磁器のほぼ100%は、ここで採れる
天草陶石が原料になっています

このように、白い石なんですが(酸化して表面は黄色くなっていますが)、
有田焼をはじめとした、白磁をベースにした磁器が、それです


この鉱物は、流紋岩が熱水・温泉作用によって陶石化した、石英、セリサイト、
カオリナイトの3つの成分から、成り立っています

チタンや鉄の含有量が極端に少ないので、焼成(還元)すると、くすみも出ず、
白く輝く磁器となるわけですね


さて、その天草陶石が採れる陶石脈が、天草西部(下田周辺を中心として)の
至る所に点在しているわけですが(主に海岸脈、村山脈、皿山脈など・・・)、
今回訪れて、少々ビックリしました


山の大部分が天草陶石なのかと思ってましたが、脈があるのはその一部で、
採掘工場の社長(木山陶土さん)がおっしゃるには、山の削り落としに1年近く
かかった後に、ようやく陶石の採掘作業に入る事ができるそうだ・・・

私たち有田に生まれ育った者にとっては、泉山陶石場みたいに、山丸々ひとつが
上質な陶石が採れるものだと思っていたので、大変な手間がかかっている事に
驚かされました~

有田の泉山磁石場は、やはり特別な所だったんですね~(再認識です・・・

最後に木山陶石さんの五層採石場で、集合写真をパチリ

(柿右衛門さん、今右衛門さんはじめ、蒼々たるメンバーですね~


さて次回は、「脱鉄」という作業などの様子を、お届けしたいと思います


2010年05月22日
駅周辺を作る(2)
前回の続きですが(参照:「駅周辺を作る(1))・・・
今日の課題は、上有田駅前にある、公衆トイレ周辺のリメイク

まずは、実際の風景を改めて目に焼き付けて、イメージと写真を元に再現

ここの特徴は何と言っても、有田磁器陶板で作られた町の案内板

そこで、手っ取り早く、デジカメで撮影
し、Nゲージサイズ(1/150)に
小さく小さくプリントアウトして、プラ板2枚で挟み接着
前回作っていたトイレ小屋ですが・・・

グリーンマックス「ローカル駅舎」に付属していたトイレ小屋は、やっぱり現物と
違い過ぎるので、結局これも、フルスクラッチです・・・


この2つのアイテムを設置しただけで、かなり実際の風景の雰囲気が・・・
こうなったら、勢いに乗って、公衆電話もプラ板ひとつで作っちゃいました
なんかのストラクチャーに付いていた郵便ポストも添えて・・・、
緑のスポンジと爪楊枝で、ちゃちゃっと作った植木を数本、植林したら・・・

「おーっ
」、・・・我ながら、かなり満足の出来栄えです


ここまで出来た記念写真に、軽トラ(ジオコレ)をおくだけでは、物足りず・・・、

お気にのハウステンボス&みどり号を、上有田駅に入線です・・・
次は、いよいよ、上有田駅前通りの桜並木の、植樹に取り掛かるぞー
←ポチッとクリックをばお願いします・・・m(_ _)m

今日の課題は、上有田駅前にある、公衆トイレ周辺のリメイク


まずは、実際の風景を改めて目に焼き付けて、イメージと写真を元に再現


ここの特徴は何と言っても、有田磁器陶板で作られた町の案内板


そこで、手っ取り早く、デジカメで撮影

小さく小さくプリントアウトして、プラ板2枚で挟み接着

前回作っていたトイレ小屋ですが・・・

グリーンマックス「ローカル駅舎」に付属していたトイレ小屋は、やっぱり現物と
違い過ぎるので、結局これも、フルスクラッチです・・・



この2つのアイテムを設置しただけで、かなり実際の風景の雰囲気が・・・

こうなったら、勢いに乗って、公衆電話もプラ板ひとつで作っちゃいました

なんかのストラクチャーに付いていた郵便ポストも添えて・・・、
緑のスポンジと爪楊枝で、ちゃちゃっと作った植木を数本、植林したら・・・


「おーっ




ここまで出来た記念写真に、軽トラ(ジオコレ)をおくだけでは、物足りず・・・、

お気にのハウステンボス&みどり号を、上有田駅に入線です・・・

次は、いよいよ、上有田駅前通りの桜並木の、植樹に取り掛かるぞー


2010年05月20日
ブルトレさくら
昨日の話ですが、あのブルートレイン「さくら」が、昨年に引き続き、今回も
佐世保線を走る
、との噂を耳にし、雨の中、上有田駅へ駆けつけた
前回は、改札口近くの1番ホームからのアングルで撮影できたので、今回は
2番ホームへ渡る歩道橋から、違うアングルで狙ってみました

来た来たぁーっ
甲高い警笛を鳴らして、懐かしの寝台さくらのブルー、鮮やかな牽引機関車
DE10のレッド
相変わらずカッチョイイです
しかし、今回の撮影目標は、引いたアングル

このアングルだと、ホーム後方の有田の家並みが見えて、上有田らしいかな
画面上の高架線が、ちょっと邪魔になりますが・・・

歩道橋を行き過ぎた後のテイルに目を向けると、ちゃんと上有田駅舎も一緒に
写ってくれました

ここの特徴である、泉山隧道トンネルに消えてゆく姿も、絵になりますよね~

雨の中、上有田駅に駆けつけられた数人の撮影隊の皆様、見学された親子、
素晴らしいひと時を共有できて、嬉しかったです
ありがとうございました
佐世保線を走る


前回は、改札口近くの1番ホームからのアングルで撮影できたので、今回は
2番ホームへ渡る歩道橋から、違うアングルで狙ってみました


来た来たぁーっ

甲高い警笛を鳴らして、懐かしの寝台さくらのブルー、鮮やかな牽引機関車
DE10のレッド


しかし、今回の撮影目標は、引いたアングル


このアングルだと、ホーム後方の有田の家並みが見えて、上有田らしいかな

画面上の高架線が、ちょっと邪魔になりますが・・・


歩道橋を行き過ぎた後のテイルに目を向けると、ちゃんと上有田駅舎も一緒に
写ってくれました


ここの特徴である、泉山隧道トンネルに消えてゆく姿も、絵になりますよね~


雨の中、上有田駅に駆けつけられた数人の撮影隊の皆様、見学された親子、
素晴らしいひと時を共有できて、嬉しかったです

ありがとうございました

2010年05月19日
狂喜乱舞のレフトスタンド!
(注意
)本日のブログ内容について、鷹党の皆様の中には、気分を害する
内容が含まれている場合がございますので、ご注意くださいm(_ _)m
昨夜の私、当たり前のように、毎年恒例のセパ交流戦、ソフトバンクVS阪神の
観戦で、虎党が陣取るレフトスタンドにおりました
そこで本日は、思いっきり阪神偏りのコラムならぬ、観戦日記をお送りします

阪神の試合は、よく出張先などで、ホーム、ビジターに関わらず、見に行ったり
しますが、1年ぶりの福岡観戦、しかも今年は、城島の福岡凱旋、アニキ金本の
スタメン復帰、好調の阪神新ダイナマイト打線(みんな阪神寄りですが・・・
)
・・・と、何かと見所満載で、マスコミの注目度も高いようだったですね~

特に、私達みたいな昭和40年代からファンを続けている虎党にとって、今年の
交流戦限定の輝流ラインのユニフォーム(黒と黄色のギザギザ模様を重ねた、
75~78年に使用)は、往年の田淵幸一、藤田平、中村勝広などの名選手を
思い出させてくれて、ビジターのブルーなんて、ダサいけど、何故かカッコよく、
懐かしく思え、外野から見ると、今年活躍してくれている、M・マートンの井手達は
あのラインバックに見えてくるので、不思議なモンでしたね~

さて、試合の方は皆さんもご存知の通り、阪神ファンにとっても、崖っぷちの
9回二死までは、大変お寒い内容でしたが、新代打の神様ひーやんこと桧山が
土壇場で、我々虎党の折れそうになっていたハートを救ってくれまして、その後
レフトスタンドは一変
「わっしょい
、わっしょい
」のお祭りパーティーアニマル化してしまいまして、
お陰で今日は、一日中、声がガラガラ
枯れている状態でした

何度「六甲颪」を歌った事だろう
何度「チャンスマーチ」歌った事だろう
久しぶりに興奮する試合にお目にかかれて、今年はツイているのかな~
今夜は、地元でのある集まりで、テレビ
も観れそうにないけど、昨夜のような
エキサイティングな試合、また今夜も期待してますよ

内容が含まれている場合がございますので、ご注意くださいm(_ _)m

昨夜の私、当たり前のように、毎年恒例のセパ交流戦、ソフトバンクVS阪神の
観戦で、虎党が陣取るレフトスタンドにおりました

そこで本日は、思いっきり阪神偏りのコラムならぬ、観戦日記をお送りします


阪神の試合は、よく出張先などで、ホーム、ビジターに関わらず、見に行ったり
しますが、1年ぶりの福岡観戦、しかも今年は、城島の福岡凱旋、アニキ金本の
スタメン復帰、好調の阪神新ダイナマイト打線(みんな阪神寄りですが・・・

・・・と、何かと見所満載で、マスコミの注目度も高いようだったですね~


特に、私達みたいな昭和40年代からファンを続けている虎党にとって、今年の
交流戦限定の輝流ラインのユニフォーム(黒と黄色のギザギザ模様を重ねた、
75~78年に使用)は、往年の田淵幸一、藤田平、中村勝広などの名選手を
思い出させてくれて、ビジターのブルーなんて、ダサいけど、何故かカッコよく、
懐かしく思え、外野から見ると、今年活躍してくれている、M・マートンの井手達は
あのラインバックに見えてくるので、不思議なモンでしたね~


さて、試合の方は皆さんもご存知の通り、阪神ファンにとっても、崖っぷちの
9回二死までは、大変お寒い内容でしたが、新代打の神様ひーやんこと桧山が
土壇場で、我々虎党の折れそうになっていたハートを救ってくれまして、その後
レフトスタンドは一変

「わっしょい


お陰で今日は、一日中、声がガラガラ



何度「六甲颪」を歌った事だろう


久しぶりに興奮する試合にお目にかかれて、今年はツイているのかな~

今夜は、地元でのある集まりで、テレビ

エキサイティングな試合、また今夜も期待してますよ

