アクセスカウンタ
お知らせ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 6人

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  
Posted by さがファンブログ事務局 at

2010年05月28日

天草陶石レポート(完)

有田陶芸協会主催の、天草陶石視察研修をここまで3回に渡るレポートsign01
4回目の今回で最終回になりますsweat02

最後に、上田陶石合資会社さんの敷地内にある「上田資料館」を訪ね、
「高浜焼」をレポートいたしますscissors
まずは、旧高浜村庄屋、上田本家役宅を訪問note

 (写真右は、同協会で同行しました、14代今泉今右衛門氏note

ここの離座敷と日本庭園は、明治中期のものでありますが、1658年に既に
上田家2代(定生)の時、高浜村の庄屋となり、現在の15代に代々受け継がれて
いる、貴重な文化財に指定されている屋敷ですsmile

隣接する資料館で、天草陶石、上田家、高浜焼のそれぞれ歴史を見る事が
できますが、前回のレポートの中で、1762年に高浜焼がこの地で生まれたと
書きましたsmile

それからの高浜焼の歴史ですが、初期(上田家6代)は、肥前から陶工(大村領
長与)を雇って窯を築き、多大な経費を掛けても、経済効果は少なかったが、
当時の肥前陶磁器と同じく、徐々にオランダとの交易が盛んになり、ついにこの
高浜村(鷹の巣山地区)に数百人の生業を成すまでに発展sign03
錦手と呼ばれる、久谷焼によく似た、古伊万里風壺などの作品が主流でしたsmile

その後、三河内焼風な染付の人物や山水画を描いた食器、平戸焼風な
彫刻のある錦手の茶碗、明治の頃には、酸化コバルトを使用した呉須の青が
鮮明な大鉢など・・・、高浜焼の歴史は、上田家代々の歴史でもあるのですheart02

 (写真は、庄村健氏、坂本義弘氏、奥川俊右衛門氏、今泉氏らnote

熊本県の文化財にも指定されている初期~中期の作品もズラリsign01
興味深いのは、上田家に残されている数々の古文書sign03
数百人の職人を抱えた、村全盛期でのこの村(高浜皿山)にだけ通用する紙幣sign02(給料の代わりだったのかsign02)、職人からの詫び状や陳情書などなど・・・sweat01
同資料館で、天草陶磁器の歴史が、だいぶ判ったような気がしますscissors

今回の視察研修は、天草陶石の採掘現場から陶石工場、さらにそこで栄えた
高浜焼の歴史など、なかなか一般で訪れても関係者以外は入れない場所まで
見学ができ、また、木山陶石さん、上田陶石さん、天草町役場の皆さんにまで
ご丁寧に案内して頂き、誠に有難うございましたsmilescissors

有田町からも力強いバックアップもあり(バスを出して頂きまして・・・sweat01)、
さらに言えば、さすがドイツにも作品を巡回している「有田陶芸協会」sign03
酒井田柿右衛門氏、今泉今右衛門氏、奥川俊右衛門氏・・・、考えてみれば私も
凄い所に所属しているもんだなぁ~sweat01・・・などと、改めて感じつつ・・・、

今回、このメンバーと大変実のある研修できた事を、嬉しく思いますsign03
また、有田の代表として活動する陶芸家の一員として、誇りに思いますsmilescissors

これからまた、土(陶石)に対する気持ちが、少し違ってくるかもしれませんねscissors  

Posted by 聡窯 辻 at 18:02Comments(0)取材・スケッチ