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2010年05月27日

天草陶石レポート(3)

有田陶芸協会の「天草陶石視察研修」のレポートも、今日で3回目sign03
この回は、午後から訪ねた「皿山脈」に採石場を所有されている、上田さんと
天草の歴史をちょっと勉強してみましょうnote
天草陶石レポート(3)
ここは、天草町下田南に位置する、山深い高浜川の上流にありますsmile
天草でも最大の皿山脈は、町の山間部を南北に縦断する天草陶石の脈があり、
上写真の反対方角にも、いくつもの山々に渡って、陶石を採掘した跡が、
大きな渓谷となって、今も歴史を刻んでいますsign03 (下写真がそうですsign03
天草陶石レポート(3)
天草陶石が最初に発見されたのはかなり古く、元禄年間に旧高浜村などで
採掘された、としか記されてないらしく、時期は定かでないthink
天草陶石レポート(3)
上の写真で説明して頂いた、上田陶石の社長さんは、1700年頃から代々、
天草陶石の採掘にあたられている、高浜焼の歴史にも関わる事業家ですnote

最初は、砥石や硯石として出荷されていましたが、正徳2年(1712年)に
佐賀県嬉野吉田の製陶業者に、陶石を供給したのが、製陶原料として使用した
始めだとされていますwobbly
天草陶石レポート(3)
その後、上田家の6代目伝右衛門氏が、ここで採れる陶石が、陶磁器原料として
最も優れていると聞き、肥前の陶工を招き、宝暦12年(1762年)に初めて
この地(高浜村鷹の巣山)で焼き物を焼いたのが、「高浜焼」ですscissors
天草陶石レポート(3)
 (上の写真は、前回に木山陶石さんでも紹介した、陶石の選別作業ですsign01

さてさて、今回でレポートが終わらなかったので、次回(第4回)の中で、
天草町皿山脈のふもとにある、高浜川沿いの上田家屋敷や資料館とともに、
「高浜焼」について、レポートしたいと思いますsmilescissors

(追伸)
当初の予定より、だんだんスケールが大きい特集になってきたので、興味がない
読者の方が多く、どのぐらいの方がご覧になっているのか、かなり疑問ですが、
どうぞ、いましばらくお付き合いくださいsweat01
そして、興味が少しでもある方は、ご意見やご感想を頂ければ幸いですcoldsweats01


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Posted by 聡窯 辻 at 19:20│Comments(3)取材・スケッチ
この記事へのコメント
 天草にいながら、磁器のことをあまり知らなかったので、楽しみに見ています。
写真の様子など、見たことのなかった風景です。
牛深にも採石後はありますが、今は廃坑になっています。
次回のレポート楽しみにしております。
Posted by うつぎ窯 at 2010年05月27日 20:56
うつぎ窯さん、はじめまして!
天草で作陶されてらっしゃるんですね!
天草陶石は、我々有田の作家たちに大変縁のあるものですから、今回の視察研修は、とても実のあるものとなりました。
新しい発見だらけです!
楽しみに見られているとの事、大変嬉しく思います。
自分なりの視線で勝手にレポートさせて頂いてます!
今後ともご愛読くだされば幸いです!
Posted by 聡窯 辻です聡窯 辻です at 2010年05月27日 21:32
私は販売のほうで有田焼業界に35年程携わっておりますが、天草陶石が使われているのはもちろん知っていましたが、
使われているのは最近(戦後)だと思っていました。
そんなに昔から有田で使われていたなんて知りませんでした。
まだまだ勉強不足です。
Posted by 森のくまさん(雄)森のくまさん(雄) at 2010年05月28日 05:50
 
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